今日の朝、最寄りの郵便局にて、募金してきましたー!
僕も口ばかりじゃない。
むしろ有言実行、自分で言ったことには責任を持つべきだと思うから。
口ばかりの人間は最低なだけだ。
それは人生の最低ラインの人間だと、僕は思ってる。
(何らかの事情で有言実行できないならまた話は別だが。)
えっ?
それって嫌々募金したって意味になるんじゃないかって?
――ん~~、確かに…(^_^;)
でも好意で募金したのは事実。
実際、被災者の人たちの役に立ちたいって思ってたからな。
まさかここまで大変な事件になるとは……;
でもシンパイない! ダイジョウブ!
僕が1000円、ちゃんと募金したから!!(足しになんねーよ!!)
――郵便局で、募金用に用意された紙に住所・名前に金額書いて郵便局員に渡し、実際にその場で1000円を払う…。
これまでの日記で何度か述べた通り、【日本赤十字社】へ送った。
その時点では「これでいい」と思ってた。
でも僕の隣の窓口にいたおばあちゃんも同じように募金しに来たみたいだった。
そのおばあちゃん、【1万円札】を郵便局員に渡してた…。
そのあとそのおばあちゃんは、お釣りをもらった様子もなかったし‥‥となると、僕の“10倍”の金額である【1万円】を、本当に募金したことになるな…。
家に帰る時に少し思った。
「1000円じゃ少なすぎか‥。
せめてあと1000円――合計2000円くらいは…。」
と思ったが、自分の小遣いの都合もあるし、1000円にしておいた。
(被災者の人たちには悪いな、ごめんなさい。)
募金って、お金の額より【気持ち】が大事ってことはわかってるけど、それをしきりに言ってしまったらきれいごとにしかならない。
どうしても僕は、「お金の重さ=気持ちの重さ」2つを一緒にしてしまう傾向がある…(-_-;)
というか、一緒だと思ってる。
実際は違うんだけどな~(ーー;)
――ともかく、こういうひとりひとりの活動によって、被災者の方のうちのたったひとりでも…もしくはその被災者の方にとっての何かたったひとつでも、救われるようなことになってくれたら嬉しいな。
額は1000円と少ないけど、1000円あれば、最近不足してると聞く乾電池と懐中電灯くらいセットで買えるだろう。
食事だって、1000円あれば誰かひとりの1日分の量くらいは何とかなりそうだ。
――被災者の方々が、
みんなの支え、
そして被災者の方々自身の
『立ち直りたい』という
強い思いによって
救われますように――
僕から言えるのはそれくらいかな。
僕にできることもこれくらい…?
言い切ったらおしまいだけど、実際もうこれくらいかも……。
申し訳ないばかりだな‥。
というか後ろめたい。
東北地方や関東地方の人は、財産や命が津波で流されたってのに、僕は今こうして大阪府のどこかでパソコン打ってブログ更新してるって……多少の罪悪感あるかな(*_*;
でもこれは僕が思ってるだけで、偉そうに言えることでもないけど、被災者の人たちに今、西日本の被災者じゃない人たちができることって言ったら、【生き抜く】ことじゃないかな…。
被災者の人たちは、失くしたくないものをたくさん失った。
もちろんそれは、被災者の人たちは望んでなどいなかったはずだ。
亡くなった人も、その周りの人たちも、死にたくて死んだはずがない。
津波って恐怖に怯えて流されて、財産とかすべてなくなっていくのを見て‥‥
失くしたものを取り戻すことは難しい。
ましてや人の命なんて、残念なことだが、どうやっても取り戻すことはできない…。
たったひとつだからな。
だから被災者でない人たちができることで一番大きなことは、節電や物資提供よりも、力いっぱい【生き抜く】ことなんじゃないかって思った。(もちろん、節電とか物資提供が意味ないって否定してるわけじゃないので注意。)
亡くなった人たちの分まで、そして被災者の人たちのつらい思いを、できる限り被災者でない人たちも忘れず背負って、「一緒に生きてあげる」ことが、被災者でない人たちが被災者の人たちにやってあげられる、もっとも意義のあることじゃないだろうか……。
…きれいごとかもしれないけどな。
面倒なことから逃げてるだけだとか、思われたらそこでおしまいだが、僕はそうは思わない。
あくまで僕(takumi)の意見だ。
――僕から言えることは本当にこれだけ。
被災者の方々と、その地域が一刻も早く立ち直れるよう、心から祈っています――(-人-)
ィヨロシク。